9月のプチ防災「大予言」

『2025年7月5日に、日本で巨大地震が発生するという予言がある』というウワサが広まっていました。

特に中国語圏では騒ぎが大きく、日本行きの飛行機が減便されるなど影響は小さくありませんでした。

そのウワサの出所をチェックしてみましたが、尾ひれの方が大きく広まってしまったという印象を強く持っています。

巨大地震など大災害が発生するという予言の類は数々ありますが、ノストラダムスの大予言を例にするまでもなく「的中した」という話はあまり聞いたことがありません。

実は120年ほど前にも同じようなことが起きていました。

東京帝国大学の今村明恒(あきつね)教授が、『50年以内に東京で巨大地震が発生する』という警告を出したのは明治38年(1905)のことです。

雑誌に掲載された『市街地に於る地震の生命及財産に對する損害を輕減する簡法』という記事は、地震による揺れと合わせて火災による大きな被害が出るというというものでした。

当時の東京は木造家屋が密集しており、一般的に使われていた石油ランプは地震の揺れで転倒しやすく、それが火元となって大規模火災になり、地震の揺れによる犠牲者よりも火災の犠牲者の方が多くなるというような警告であったにも関わらず、新聞は巨大地震が発生することだけを大々的に記事にしたためパニックと言えるほどの大きな社会問題にもなりました。

今村の上司であった大森房吉は、「今村の説は根拠の薄い浮説」と冷静な反論を展開し、社会不安の鎮静化に努めました。

ところが、その18年後の大正12年(1923)、関東大震災が発生、10万5000名余の犠牲者・行方不明者の大半は火災によるもので、今村の警告が現実のものとなりました。

一時は「ホラ吹きの今村」とまで言われましたが、関東大震災の地震を予知した研究者として「地震の神様」と呼ばれるようになりました。

また、南海トラフ巨大地震についても、『遠州沖大地震所感』という論文の中で次のように言及しています。

「宝永地震や安政東海・南海地震は東海・南海の両道に跨って発生したものであるが、今回の地震は東海道方面の活動のみに止まっており、今後、南海道方面の活動にも注視するべきである」

参考までに、『遠州沖大地震』は、後に『昭和東南海地震』と呼ばれるようになる昭和19年(1944)12月7日に発生したM8.2の南海トラフ巨大地震であり、その2年後の昭和21年(1946) 12月21日にはM8.4の『昭和南海地震』が発生し、今村の論文による警告はまたしても現実のものとなったのは関東大震災から21年後のことです。

地震の研究だけに留まらず、津波被害を防ぐための高所移転や、『稲むらの火』を小学校の教科書収載を提案するなど、現在にもつながる防災の啓発活動にも尽力されました。

「南海トラフ地震の発生確率は『30年以内に80%程度』」という情報は内閣府の正式な見解ですが、一方で

「日時と場所を特定して地震を予知することは、現在の科学的知見からは困難」とも発表しています。

「地震予知が可能になる日は近い」と発言する学者もいます。

仮に『3日以内に南海トラフ地震が発生する』と発表されるといったいどんなことになるのでしょうか?

120年前と同様に国の内外を問わず大パニックになってしまうのではないでしょうか?

だとすれば、不用意に発表することは出来ません。

国や都道府県あるいは市町村などは、南海トラフ地震発生に関して対応を検討していると思います。

しかし、地震の強い揺れの瞬間、あるいは津波が襲来するまでのわずかな時間は、自分自身で命を守るほかありません。

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