地名に隠された災害の歴史
12年前の2014年(平成26年)の広島の豪雨による土砂災害(平成26年8月豪雨、あるいは8.20土砂災害)の直後、大きな被害が出た八木地区は、かつて『蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)』と呼ばれていたというような報道がありました。
確かにその直後に目にした阿武山は、まるで大蛇が落ちてくるようにくっきりとした土石流の現場が見えておりました。
合わせて、『水』という文字やさんずいの文字が地名に使われている場所はかつて水害が発生した場所である可能性が高いというような論調でも語られていました。
ところで、東京から東海道新幹線に乗って大阪方面に向かうと海はずっと左手に見え、富士山が右に見えることはご存知かと思います。
江戸時代の東海道の旅でも、現代と同様に右に富士山が見えていたことに変わりはありません。
しかし、富士山が左に見える場所があったことはご存知ですか?
それは東海道五十三次の吉原(昨年の大河ドラマの舞台として描かれた吉原ではなく、現在の静岡県富士市)の宿付近でした。
吉原の宿は、津波や高潮の被害を何度も受け、その対策としてより内陸への移転を繰り返しました。
現在も元吉原、中吉原、新吉原という地名が残っているのは、その名残です。
吉原の宿が内陸側(北方向)へ移転したため旧東海道はほぼ直角に右に曲がることとなり、富士山が左前方(左と言っても実際には11時の方向)に見える形となりました。
そして、現在では『左富士』という名所となっています。
もしかすると、あなたが現在お住まいの場所も災害がきっかけで地名などが変わったということがあるかもしれません。
ところで、実は現在の東海道新幹線でも富士山が左に見える場所があるのをご存知でしょうか?
※画像は歌川広重の『東海道五拾三次』吉原「左富士」



駅前に水入(みずいり)という地名がありました。大雨の時に必ず浸かる場所でした。